Install this theme

 私たちLAZAKは、在日コリアンの弁護士の会です。会員は在日コリアンの弁護士及び司法修習生に限られるのですが、他方、在日コリアンとは誰かを会としては定義しないことにしました。したがって、父母がともにコリアンである者だけではなく、父または母がコリアンであったり、祖父母の誰かがコリアンであったり、と会員は色々です。
 在日コリアンであっても、日本国籍の者もいますから、私たちの国籍も南北いずれかだけではなく(もっとも、法的に厳密に言うと、コリアンは南北の両方の国籍を有している、というところがあるのですが)、日本国籍の会員もいます。各会員の名も区々です。コリア式の名をコリア式に名乗る会員、コリア式の名を日本式に名乗る会員、日本式の名を名乗る会員、名字がコリア式で名は日本式の会員、などと分かれています。

 以上のような「色々であること」は、私たちが共有する問題意識を反映しています。
 例えば、「日本国籍の在日コリアン」がいることを説明しても、すぐには分かってもらえないことがあります。「帰化をして日本国籍を取れば日本人になるわけなので、日本国籍の在日コリアンではないだろう」ということなのでしょうし、また、在日コリアンならコリア式の名を使うべきだ、とか、そもそも韓国や朝鮮と名乗るべきで、コリアと名乗るべきではない、という意見に出会うこともあります。民族という排他的な概念にこだわるべきではないと言われることもあります。
 たしかに、民族は、他者がいて初めて成立する概念ですから、虚構性と排他的な傾きを最初から持っています。しかし、現在の社会においては民族が実在するものとして取り扱われていることや、排他性がまずは多数派から少数派に向けられること、単一民族国家ということばが、あまり抵抗なく受け入れられてしまいがちな社会では特にそうであることを見逃すことはできないでしょう。その排他性に抗して、少数派の民族性に依拠・着目するのが私たちの会ですが、その少数派の民族性自体も虚構性と排他的な傾きを本質的に持っている、という矛盾があります。
 この矛盾をよく認識しながら、大事に持ち続けることによって日本社会にも貢献する、さらに、このような考え方は社会を超える普遍性も有しているのではないでしょうか。生まれも育ちもさまざまな私たちは、ただ在日コリアンとして生まれ、生活し、そして自分は誰なのかとの問いを考え(させられ)てきた、という共通性を持ち、そのことによってこのような問題意識を共有しているのです。

2010年10月

在日コリアン弁護士協会(LAZAK)
代表 殷勇基(いん・ゆうき)